ユキシロ日記

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特別展ミイラ/国立科学博物館/2019.11

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ひっそりと更新されることに定評のある科博公式ホームページの年間スケジュールですが、この特別展を知ったのも、その年間スケジュールでした。開催される半年以上前から楽しみにしていたということになります。その時は「ミイラ」というシンプルなタイトルを見て、人の死をどのように取り扱うのか、そのあたりが気になっていた気がします。

「死」がテーマの展覧会

国内最大級のミイラを科学する展覧会!と公式サイトには書かれています。実際これだけ多くのミイラが一堂に会する機会はとても貴重で、行った後の思いとしては、よく開催してくれましたねありがとう!という気持ちでした。写真撮影が許可されていることの多い科博の展覧会としては珍しく、ここでは撮影禁止です。そういった意味でも真摯で真面目な展覧会でした。

と言いつつも、これまで行ったことのある科博の特別展と比べても一番感想をまとめるのが難しい展覧会だったように思います。そもそも「死」を避けることができないテーマです。一生をかけて向き合っていくような大きなテーマ、そう簡単にまとめることはできないというか…(行ってからしばらく経っているので忘れている部分も多々あったりして…)。

ただ、この感覚は今でもよく覚えているのですが、自分が関わることのなかった遥か昔の時代を生きていた人間が、亡くなっているとはいえそこに存在しているという不思議な感じ。言葉で説明するのがとても難しいあの感じ…。通常人間は死んだら姿はなくなります。しかしミイラは人の姿形がある程度わかる状態でそこにある。彼らが生きていたのは何百年も前。なんでしょうこの感覚…本当に不思議な気持ちになります。

ミイラの存在理由と価値

かつてミイラは好奇の対象でしかなく、学術的に価値あるものとしては見られていなかったそうです。しかし、技術が発展した今、昔はわからなかった新たな事実が発見されていく(ミイラとなった人の生前のこととか)につれ、価値が見直されているのだとか。これに限りませんが、昔のものが今も残っているというのはそれだけで凄いことなんですよね。当時のことを知る術がそこにあるわけです。

この展覧会では地域によって違うミイラの作成方法や、これまた地域によって全然違う死についての考え方も紹介されていました。そういった文化的なことを知るための貴重なものでもあるんですね、ミイラ。ゲームや映画の影響かなとは思いますが、どうもミイラというものは怖いイメージが付いて回っているような気がします。私は元々そういったものは平気な方なので何とも言えませんが、この展覧会に怖さは一切ありませんでした。そこにいるのは人を怖がらせるために作られたものではなく、残された人たちやご本人の強い思いが詰まったものだったからです。

さて、もうすぐ会期終了となるミイラ展ですが、調べてみたところ熊本、福岡、新潟、富山にこのあと回っていくそうです。なかなか見ることのできない貴重なミイラの数々、そして色々なことに思いを巡らせることのできるとても良い展覧会だったので皆さんも是非。

ちょっと話がズレますが、この展覧会についてたまに「好き好んで死体を見に行く意味がわからない」というニュアンスの感想?を見かけます。一言でそう言うのは簡単ですがミイラ展に行った者としてはそこで終わっちゃいかんだろう!と思うわけです。

目の前にある遺体は決して「見世物」ではなく「貴重な価値ある展示物」であったと私は思います。何百年も前に生きていた人間が亡くなっているとはいえ姿形を残した状態で目の前にいる。この凄まじい現実を目の当たりにして「ただの死体」がそこにあるだけとはとても思いませんでした。ちょっとでも興味がある人は行ってみて欲しいなぁと思います。ちびっこもいました。老若男女いました。どんな人が行ったって良いんです。さあ行きましょう! 

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