何故書くのか
インターネットの海を泳いでいると「人に読まれる文章の書き方」みたいな記事?を見かけることがあります。自分から求めなくても目に入ってくることがあるくらいなので、この手のノウハウ記事は相当多いんだろうなと思います。需要もあるんでしょうね。
みんな自分の書いた文章をそこまでして誰かに読んでもらいたいんですかね?
…なんて煽りにしか聞こえないようなことを書いてしまいましたが、そんなに読んでもらいたいものなのかな…?と疑問に思っているのは本心です。疲れませんかね。
目的は何なんだろうか。収益目的(アクセス数とかアフィリエイトとかそういうやつ)ならわかります。お金のためにやっている、これ以上わかりやすいことはないです。
ただ、そうでもなさそうに見える人もいるんです。
よく言われる承認欲求というやつなのでしょうか。
しかしどれほどたくさんの人に自分の文章を読んでもらえても、満たされる感覚には別になりませんよね…。
今日はアクセス数がたくさんだ!私って凄い!…なんてなりませんよね。数字は数字でしかなくて、その人の価値に直結しているとは思えません。追い求めるほど虚しくなるものだとすら思います。
なにか見た
どうして急にこんなことを書きたくなったかと言うと、何とは言いませんがちょっと色々見てしまって、そんなに自分の文章読んでもらいたいか?必死すぎないか?と思ったからです。
多分、その必死に見える人たちと私は根本的な考え方が違うと思うので分かり合えないと思うのですが、私が…苦手なんですね、そういう人たちのことが。
インターネットは嫌なら見るなの世界。住む世界が違う人たちのことは見なければ良いのですが、たまに事故が起こって目に入ってくることがあるんですよね…。今回もそのパターンです。
書きたい
先日、森美術館で開催中の「ルイーズ・ブルジョワ展」に行きました。
まだ余韻が残っているくらい心を動かされた展覧会でした。
感想↑でも書きましたが、ルイーズ・ブルジョワのように「生み出さなければ生きていられない」というような…、そこまでいかなくても「自分がやりたいからやっている」というタイプの人が好きみたいなんです私。
ルイーズ・ブルジョワはアート作品でしたが、音楽や文章も同じです。誰かに見てもらいたい以前に自分がやりたいからやっている、そういう人が生み出すものが好きなんです。
受け取る側としてなんとなくわかりますよね、その人が何のためにそれらを生み出しているかって。
少し前、どこで見たか忘れてしまったのですが、芥川賞か何かの受賞作家の方が、ほかのことが手に着かないほど小説を書かずにはいられなかった…みたいなことが書いてあるインタビュー?を読みました。
こういう人、好きです。それしかない!みたいな人。
いや、確かこの方は医師だったと思うのでそれしかないなんてことはなく、むしろ凄いマルチプレイヤーなのですが、そんな人でもこれをやらずにはいられない!みたいになるんだなと。
最近は別の趣味で忙しいので優先度が低くなってしまいますが、物語を読むことは好きなのでいつかこの方の小説を読んでみたいなと思います。そうそう、私の大好きな生き物がタイトルになっている小説でしたね(調べてきました)。
インターネットに自分が書いた文章を公開するという行為。ただそれが好きで楽しくてやっているというだけなら、読まれる文章を目指す必要なんてなくて、好き勝手にやったら良いんじゃないかな~と思います。
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