この記事は、ネットで見かけた以下の記事を読んで思うところがあり書いたものです。
このタイトルを見た段階ではまさかこの記事が最初から最後まであつ森のディスりであることに私は気付きませんでした。あつ森が持つ魔力について語ってくれるものだとばかり思っていましたが、蓋を開ければ自分に合わなかったゲームに対する文句に終始する内容で、公式サイトには「考察」と書かれていましたが私にはとてもそうとは思えませんでした。
- 記事の筆者が言いたいことは…
- あつ森は万人受けするゲームではない
- あつ森は癒されるのか…?
- あつ森は楽しみを自ら見つける「創造」のゲーム
- あつ森が合わない人もいる
- ゲームは全てを与えてくれない
- 最後に、私はゲームが好きです
- あつ森プレイ日記はこちらから
記事の筆者が言いたいことは…
わざわざURLを貼り付けてまで記事にするからには、私もこの記事を読み込む必要があると思いました。何度か読みました。解釈が違ったら申し訳ないのですが結局のところ筆者が言いたいことは「あつ森は苦行ばかりのゲームだが、可愛さによって良いように見えているだけなのではないか」ということだと思いました。
既に筆者と私は解釈違いが起こっているのですがそれはまたあとで。このゲームは確かに可愛さで溢れているように見えます。キャラデザはひたすらにゆるいし、虫や魚はリアルで凄いですが他の家具や小物はあれもこれもミニチュアドールハウスのグッズみたいで可愛いです。そんな可愛いあれこれを得るためにプレイヤーが数々の「作業」を要求されることも否定できません。というよりそういうゲームです。
あつ森は万人受けするゲームではない
私は幼少の頃からゲームが好きですが、これまでどうぶつの森シリーズに触れたことはなく、あつ森で初めてこのシリーズを遊び始めました。発売から2ヶ月ほど経ちましたが毎日せっせと作業をしながら島を徘徊して楽しんでいます。そう、このゲームははっきり言って「作業ゲー」です。
あつ森を始めてそれほど経っていない段階で私は思いました。このゲームは絶対に向いてない人もいるなと。言ってみれば毎日同じ事を繰り返すゲームです。魚や虫を捕らえる、木を伐採する、花を植える、住民と話をする、島を改造する。これらを毎日繰り返すだけのゲームです。しかもその作業は単調です。魚釣りについて言えばルアーを選ぶこともできないし釣り場所も決まった川か海か池しかありません。
上記の記事を書いた筆者はこれらの「作業」に苦しみを覚えたようでした。気持ちはわかります。正直このゲーム、私がこれまでやってきた数々のゲームと比べても操作性は決して良いとは言えないと思います。システム(UIと言うそうです)についても、これ何でこうしてくれないんだろう…と思うような不便な点が多々あります。そこに不満を抱くのは仕方ないし、ぶっちゃけかなり多くの人がこの点については大なり小なりストレスを感じていると思います(笑)(アサリはまとめさせて欲しいですよね)
あつ森は癒されるのか…?
しかし、筆者はUIの不便さを語りつつも、別の部分に大きな不満を抱いているように見えます。それは「癒し」というポイントで、筆者はあつ森に癒しを求めていたようなのです。癒しを求めてこのゲームを買ったのにやってみたら全然そうじゃなかった、と。
そもそもこのゲーム、癒されますか?個人の問題になってくるので何とも言いにくいですが、少なくとも私は「癒されはしないかな」と思っています。キャラや世界観は確かにそれっぽいですが、実際やればわかる通り世知辛い世界です。お金を中心に回っているようにも感じます。でもそんな妙なギャップがシリーズ通して変わっていないどうぶつの森の魅力でもあるのだと思います。
筆者は自分が何故このゲームに癒されないのかを分析しようとしていますが、分析と言うよりさんざんディスった(笑)上で最終的に「癒しはまったくかんじられない」という結論に至っています。にも関わらずこのゲームをこれからもプレイすると言うのです。何で!?(ここ笑いどころです)。強いられているのか?
あつ森は楽しみを自ら見つける「創造」のゲーム
このゲームの喜びは「創造」にあると私は思います。初めのうちはやるべきことがありますが、途中から放任主義的になります。何をしても良いよと言われるのです。ここで突然何をしたら良いのかわからなくなる人はきっとこのタイプのゲームに向いていないのだと思います。
あつ森には島クリエイターという機能があり、自由に島を改造して自分の好みに作り替えることができます。たくさんの人がプレイ日記やプレイ動画を投稿しています。中には本当にとんでもないクオリティとオリジナリティで圧倒してくるような島を作り上げている人もいます。この人たちに共通しているのはみんな自ら「創造」しているんです。
あつ森はそんな創造に必要となる材料やきっかけを与えてくれるに過ぎないのです。何をしても良いということは、何ができるか自分で考える必要があるということ。このゲームは与えられたものを発展させて楽しむことのできる人しか楽しめないのです、多分。作業の先に何も見いだせないなら、このゲームはやらない方が良いです。
あつ森が合わない人もいる
記事の話に戻ります。自覚がないようですがどう考えても筆者はあつ森に向いていません。筆者のせいではないです。合う合わないの問題です。この筆者はこのゲームの楽しさを見つけることができないタイプの人間だった、それだけです。合わないゲームをやり続けるのは苦痛でしょう…。おそらくこの記事は世界的な自粛が広がる時期に書かれたものだと思いますが、やることがこれしかないから仕方なく続けます、というニュアンスで書かれているんですよ。いやいやもうやめろよ、と。家でできることは他にもあるでしょう。
杞憂であることを願いますが、1ヶ月後くらいに同じ筆者がまた同じような記事を書くのではないかと怯えています。きっとまた「数ヶ月続けてみたがまったく癒されない」と言うのではないかと。
ゲームは全てを与えてくれない
ゲームってとても面白くて、どんなものでもある程度頭を働かせないとできないんですよ。一見与えられるだけの受動的な娯楽や趣味のように思えるかもしれませんが、どんなタイプのゲームであっても自分で何かを操作しないと何も始まらないし話が進みません。最初から何でもできるゲームは見たことがありません。アイテム収集であったりレベル上げであったり、上手くプレイするために練習が必要なゲームもあるでしょう。いきなりレベル100に達しているポケモンを博士からもらって何が楽しいんですか。
プレイヤーがやるべきことを親切に教えてくれたり誘導してくれたりするゲームもありますが、ある程度やらせた上であとはご自由にどうぞ系のゲームもやはりたくさんあります。あつ森は完全にこちら側のゲームです。与えられるものが少ないなら、自分で楽しみを見つければ良いだけの話です。だからゲームというものはワクワクして楽しいんです。下積み?的な要素の先にある快感や達成感がゲームをプレイする喜びなのです。手っ取り早く完成された何かを得たいなら別の娯楽を探した方が良いです。
最後に、私はゲームが好きです
あつ森に限らずゲームというものは所詮娯楽です。中にはそれで稼ぐ人もいますが、ほとんどの人間にとってゲームは娯楽であり趣味です。 しかし、そんな所詮…と言うような趣味に、これまで何度も救われてきました。
私は博物館がや美術館好きでよく行っていたのですが、昨今の自粛を求められる世の中の流れの中で行けなくなり、数ヶ月前から期待していた企画展がなくなりました。音楽も好きですがこちらも同様、楽しみにしていたライブがなくなりました。そんないくつかの趣味活動ができなくなる中、ゲームは変わらずやり続けることができました。
現実の美術館には行けませんが、あつ森内で美術館の作品を鑑賞することができた時は本当に嬉しかったし感動しました(それについてはこちら)。博物館の企画展中止が決まり落ち込んでいた時、全然違うところから新作ゲームの情報が入ってきて良い意味で気が紛れたしワクワクしました。
長年楽しませてくれる、そしてこの歳になっても新しい情報を見るとワクワクさせてくれる、そんな趣味としてのゲームが大好きです。これからも自分で楽しみを見つけながら、のんびり色々やっていきたいなと思います。
あつ森プレイ日記はこちらから
宣伝もせねば。
文字ばかりで色がないのであつ森の写真も一枚。